フリージング

昨日のブログで作りおきのご飯はなんだか魅力がなくなると書きました。

でも寝ながら本当にそうだろうか、それはもしかして「冷蔵」しているからではないのか?という考えが頭をよぎりました。

そもそも素材の段階で冷凍しておいてちょっとずつ出して料理に使うとおかずもやたらに作りすぎて疲れないしロスも少ないのではないでしょうか。特に野菜はちょっと面倒だったりして傷んでしまうことが少なくないのです。

そう思って「フリージング」で検索するとなぜか漫画ばかり出てきたので「冷凍」を加えるとわりと望みの情報が出てきました。

ベターホームのサイトに

www.betterhome.jp

というコーナーがあり、それだけでもかなりお勉強になりますが『ポジティブフリージング読本―節約!おいしい!使いやすい』という本も紹介されています。本自体はもうなかなか手に入らないようですが、Kindle版は出ています。素材別にどれがどのくらい持つとか写真入りの表のような作り。見ているだけでもなんだか楽しい。体系立ててものを知りたい人や私のような表を見るのが好きな人にはおすすめです。レシピも少しあります。パンやご飯は冷凍で変化しにくいこともこれでわかって納得ですし、小技テクニックが満載でミイラみたいにしないですむコツなんかがわかります。

同社の『冷凍しておくと、便利なおかず 毎日のおかず・お弁当 忙しい人の便利シリーズ』がkindle unlimitedに入っていたので見ましたら、こちらはレシピ集です。どちらか一つ選ぶならこちらかな。実用的です。

たしかにこれだけ冷凍庫に詰まっていたら、そんなに苦もなく毎日きちんとしたおかずを食べられそうですし無駄にしてしまう食材も減りそう。まさに備蓄という感じ。英子さんみたいに3つとは言わないまでも、今あるフリーザーをもうちょっとうまく活用できるようにしていこうと思います。なにごとも知恵ですね。

 

冷凍庫がパンでパンパン

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昨夜読んでいた『ときをためる暮らし』に感化されてしばらく食材買わないでおこうと思ったのに、もう忘れてパンを買いました。全てはふと頭をよぎったツイストのせいです。ねじねじしたドーナツなアレ。なんだか無性に食べたくなってしまって。感化されやすいけど忘れやすいんです。まあフットワークが軽いのは良いところですが。

それにしても、このあたりは良いパン屋さんが多い気がします。ハード系、おかずパン系、米粉系、素朴系、ドライフルーツぎっしり系、それぞれ持ち味があって良いです。ケーキ屋さんはあまりみかけません。でもきっとどこかの路地に潜んでいるはずです。引っ越してきてまだあまりわかっていない街というのは探検のしがいがありますね。

闇雲に歩くには時間も体力もないので、マップを拡大したり縮めたりしてキラリと光る店をマークします。今はそういうことがじわじわと楽しいです。

前述の本にでてくるつばた英子さんは大きな冷凍庫を買って何でも冷凍しています。どんどん買い足して、今や冷凍庫は三つ。冷蔵庫一つ置くので精一杯な我が家ではとても真似できません。しかも英子さんはちゃんと何が入っているか把握できているようですが私はリスと同じで見えないと忘れてしまうから、アイスクリームのケースみたいなのでないと無理でしょうね。どこに売っているのやら。

できることなら作ったものはその場でなくなってほしい。作りおきは楽しいけれど、冷蔵庫に入れるとなんだか魔法が解けたみたいに魅力がなくなる感じがします。食べてくれる人がいればいいんでしょうけど。まあでもパンはなんとなく冷凍してもきっちり消費できます。不思議ですね。

 

 ということで、「ブログを1行書く」をはじめます。

 

中身が詰まった感じで行こう

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Twitterをやめました。というか見るのをやめました。booklog など、連携したものはあるから、読んだ本やら映画は流れていってはいる。以前なら、アカウントを消したりしたと思うけれど、そういう感情的なものではない。

このブログも読み返すと同じようなことを書いているから、周期的に来ることなのかもしれない。でも、やっぱりTwitterは変わってしまったと思う。あるいは自分が変わったのか。もうあの楽しかった空間ではないし、やめようと思うと口に出したら、あっけなく、心の糸が切れたのを感じる。

でも保険として、今のアカウントはそのまま残し、以前作っていた真っ白のアカウントに占いのリストだけ移して、たまにそこを見る。それだけ。Twitterだけでつながっている人もいなくはないけど、多くはFacebook などにもつながりがある。かつてのネットは今やリアルになっているわけ。まあそんなことで、ここをまた開けてみたわけです。誰にも教えず密かに書くのは悪くないものです。

Twitterに執着しなくなった理由として、多分ですが、本を読むようになったことが挙げられるでしょう。以前は本を読むというのはハードルの高いものでした。職業柄、仕事以外の本を読むことに罪悪感さえありました。

いよいよ、自分が駄目になってきてると思ったある日、『小さな習慣』という本を読みました。数ページ読んで数週間放置したあと、また読み始め、それから「本を2ページ読む」を始めました。実際2ページで終わることはなく、毎日読み続けています。枕元でスマホを見続けることが減り、代わりに本を読んでいる。

 

非常に良い。

 
 

記録は記憶

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この冬、廃盤になろうとしているTime Capusuleを駆け込みで買った。

WIndowsMac、両方のデータを保管できる機器はそうない。

1997年にはじめてデジタルカメラを買ってからこっち、一体何枚の写真を撮ったことやら。整理しようにも、一覧できないとどうにもならない。

しかしデータはMacだったりWIndowsだったりケータイだったりスマホだったりいろんなところに入っている。それを全部集約できるのは知る限りTime Capsuleだけだったから、生産中止と聞いて焦った。

そもそもクラッシュなどですでに失ったものも多い。

「メイル」のやりとりはホームページになり、ブログになり、ミクシィになり、Twitterになり……吐き出されては消され、あるいはIDやパスワードを考えては忘れ、消したくても消せなくなった。そんなともすれば一瞬で消える儚い不安定なデータたちは、それでもそのときどきを微細に映し出している。

 

2005年の私は今とは別人だ。

 

ガラスのモンスター

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実を言うと別のブログを作りかけていて、でもしっくり来なくてはてなに移したのだけれど、そっちの背景にしようと思って切り抜いた写真があって、それはまあまあ好きだったからここに貼っておこうと思います。

 

割れたガラスといえば「ガラスを割れ!」だけど平手さん本当にいいよね。どのPVみても惹かれる。大人の事情はよくわからないし、それはほんとにどうでもいいことだけど、あれだけの力と引力のある人を周囲の人は大事にしてほしい。平手さんは単なるアイドルの器ではない。ある意味モンスター。

 

youtu.be

噴出

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基本文字だけでいいと思いつつ、写真もついつい探してしまうのはSNSにすっかり毒されたのかもしれない。これはいつ撮ったかも覚えていない空。メールで送るからそのテストも兼ねている。
 
昔のアンテナを開いてみると、何人かまだ続けていて、偉いものだなと感心。
SNSは簡単で、何かつながってる気分にはなるけれども、そしてあれはあれで当面やめはしないと思うけれど、なんだか正直疲れたのは確かで、具体的に言うと己の空洞化に疲れた。
 
回帰。まあそんなところ?
今日び、メールでさえ長文ははばかられ、スタンプ一個でお気持ちを伝えている。
そんなせいか、長文が読む力が弱くなっている。職業柄それはまずいし、こればっかりは筋力と一緒で鍛えるしかない。
 
鍛えるで思い出したけれども、忙しさにかまけて放っておいたら肩や背中がガッチガチになっていたので、昨日ひさびさに体のメンテナンスにも行った。そんなわけで今日は一日ぐったりとしていたのだが、あるお坊さんの日記ブログをたまたま読んで、突如ブログをつくっているというわけ。
 
それが今度旅で出かける地域のお坊さんだったからなのか、内容に惹かれたのか、原因はもはやよくわからないけれども、まあ物事のきっかけというのはいつもそういうちょっとしたことだ。無意識と無意識が交錯したとき、それは起こり、あとからなぜだか考えたってよくわからないのだ。それらしいことを書いてみたりはしたけれど、理由なんて後付けだったりするし、重要じゃない。
 
あと、半年くらい、あるいはもっとか、全く動く気配のなかった吹き出物について検索したところ、針で刺して出口を作れとあったのでやってみたところ、一晩くらいたったところで面白いぐらい噴出したのでかなりスカッとしている。

ramune-dama

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ときどきわからなくなる。
多分いろんな物が多すぎてうんざりして、そのくせそれを排除しようとすると飢餓状態になって却って欲深くなっていく。たとえば、食べないと却って太ったりするそうだ。

書こうと思ったのは、書くとなれば調べたりする自分の性質を知っているからだ。
〜らしい。なんかえーっとこういうかんじのもの。
そういうフワッとした世界に最近身を置きすぎた。

興味もなく、ただ流れ込んできた文字列を眺めているだけの、それは無いよりマシだとしても、だからといって知性とはいい難い、脳内のメモリだけ消費している無意味ななにかを、ただ捨ててもいいけれど、味わい尽くしたほうがいいのかもしれないという考え。

脳内の、あるいは感覚のなかの、名もない、タグ付けもされていない泡の数々をラムネ玉をカチャリといわせながら飲み干していく、そんな感じになればいいかなと思っている。

なんてスカしたこと書いてみたけど、目の前にラムネ菓子があっただけです。