習慣づけ

月日の経つのが早くて慄きますね…。

下記5/29の投稿はkindle からのメール送信による更新でしたが、私が持っているkindle が旧式だからなのか、自分宛てのメールアドレス以外、送り先は都度入れなければならず、メモ代わりに使えるかもという思惑は外れてしまいました。

さて、この間何をしていたかというと、「みんチャレ」です。5人チームになって習慣づけのチャレンジをするのですが、詳細はこちらをお読みください。

minchalle.com

 

結論から言うと、これはかなり有益です。放っておくとすぐアメーバ化するわたしでも、どうにか人型を保てるようになってきました。また、個々のチーム一覧を見ていくうちに有益なアプリが多々あることを知り、それらも入れました。

ちょっとした部活気分であり、それも以前から模索していたことだったので非常に良かった。それぞれのチャレンジごとに5人(あるいはそれに満たない人数)で褒め合いつつ(スタンプを押すだけのこともよくありますが)がんばろう、と背中を押される。それが割とあっているようです。親しみを覚えるけど、個人的なやり取りはできないので体重なんかも平気で晒せる。だめな部分を見せられるって割とすごいことだと思う。

おかげで仕事一辺倒からも脱することができ、メリハリのある生活になってきたようです。

とっておきたい言葉

今私が読んでいる本の一節を紹介します。

「大事なことは「怒り」を発露しないことです。「なんでそんなことを言うんだ、お前は俺の気持ちをわかっていない!」なんて言い返す必要はありません。それ自体が鬱へのハイウェイです。「わかりました!」とか適当な返事をしておいて、その人が見ていないところで、さらにその楽しみを続けるのです。」(『躁鬱大学―気分の波で悩んでいるのは、あなただけではありません―』(坂口恭平 著)より)

この本を無料で読む: https://a.co/bx7irm9

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僕たちの嘘と真実

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映画『僕たちの嘘と真実』を観てきました。

公式サイトはこちら


序盤のライヴシーンで涙がブワッと出ました。ライヴ観たかったなぁ。すごい迫力ある。ライヴ、練習、撮影などのシーンと織り交ぜるように一部のメンバーのインタビューが入ります。

中盤以降、ボロボロになってからの姿をクローズアップしすぎだと感じ、ふと、後年、平手友梨奈をよく知らない人が見たら無責任でヤバい人にしか見えないのではという気がしてきました。

最終的に少なからず腹を立てている自分がいました。欅坂がこわれたのは平手さんが抜けたからではなく(それは間違いなく致命傷ですが)、新メンバーを入れ、選抜制にして競争を持ち込んだことが最大の原因だと思っています。それまで21人、部活動のようにみんなで励まし合い、頑張ってきたメンバーにとってそれは心折れる出来事だったと思います。映画では途中、やめていったメンバーのこともほとんど触れず、その声も聞かず、一番励まし寄り添ってきたであろう振付師のTAKAHIRO先生に大人の責任を問うなど、意味がわかりませんでした。責任があるとすれば運営にあります。聞くなら己の胸に手を当ててほしい。秋元さんの言葉を聞きながらハッと目を見開く平手さんの表情をみるにつけ、その言葉が持つ影響力を思い知らされます。

結論として、これは名前を変えて再始動するメンバーのために作られた映画だなと感じました。別物になっていく彼女たちがここで欅坂46という名前を封印してくれたことにはありがとうという気持ちです。わたしにとって、欅坂の最終シングルは「黒い羊」でした。ごめんね。

 

ところで以前、書いてお蔵入りにしていた文章をここで供養しておこうと思います。このとき、もう平手さんが限界に達していたとは知りませんでした。

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昨年の大晦日、実家でぼんやりとごまめの腹を取っていた私は「ゴンっ」という音に驚いて目を上げた。テレビでは紅白歌合戦をやっていて、アイドルの女の子が振り付けで倒れたときに頭を打ったようだった。彼女は他のメンバーに引き起こされて、そのまま踊り続けた。あ、大丈夫みたい、よかった、そう思ったのも束の間、彼女は腹の底から「僕は嫌だ!」と叫び、私はそのままその子から目が離せなくなってしまった。なんだかアニメのキャラクターみたいだと思った。

 

私はテレビを持っていないし、アイドルにはなんの興味もなかったから、それまでその子が誰だかも知らなかった。特に、人数の多いあの手のアイドル・グループはみんな一緒に見えていたし、嫌悪感さえ持っていた。アラフィフの女である私にとって、そういう子達のファンは「ドルオタ」などと言われ、握手会のために大量のCDを買ったりする全く理解できないものであったし、勧められても全く聞く気もなかった。完全に食わず嫌い。でも、その夜はなんだか気になって、インターネットで彼女たちのPVを幾つか見た。テレビで見た彼女は鬼気迫っていてほとんど顔も見えなかったけれど、言われなければ同じ人と思えないくらいに毎回顔が違った。彼女はいつも彼女自身というよりは、その曲の主人公としてそこにいるようだった。

 

あれから10ヶ月。いま、私は正に「ドルオタ」である。彼女の才能、楽曲の良さ、ダンスユニットとしての魅力、表現力、かわいさ、格好良さ、すべてを愛し、それを布教したくて仕方がない。わかってきたらメンバーそれぞれ個性的で可愛いし、めちゃくちゃ推せる。彼女がCMしている口紅を買い、映画を観に行き、幸いにも私の推しである彼女が握手会に出ないからさすがに何枚も買ったりはしないけれどもCDやDVDを買い集めている。少し理解を示してくれた友人に、それは社交辞令だとわかっていてもあれもこれもと勧めたくなる。我ながらキモい。しかし、それを恥だとは思っていない。ただ、あまりのハマりように自分でも戸惑ってはいる。同性の、近頃17歳になったばかりの女の子に何故にそんなに惹かれるのか。

 

私が彼女たちくらいの年頃だった頃、世の中は「女子大生ブーム」だった。大人っぽい、色っぽい、知性のある人がもてはやされていた。そして、いざ女子大生になった頃、時代は「女子高生至上主義」になった。結局、私達の世代はスルーされ、就職も厳しくなり、女であることは不利でしかなかった。上の世代の常識を植え付けられ、努力してきたことは古臭いか、できて当たり前のこととして全く評価されず、一方、本当にやりたくても眉をひそめられて出来なかったことを楽しそうにやって褒めそやされる若い人を見るにつけ、哀しみとやり場のないデットストック感が募った。

 

あの大晦日に「僕は嫌だ!」と叫んだ彼女は中学2年でアイドルになったという。理由は「自分を変えたかった」から。言われてみれば、このグループは皆、他と違って、クラスの中で浮いているような子たちだ。とても可愛いのに自尊心が低い。彼女たちが歌う歌詞もそういう感じ。でも彼女たちは歌うことでそれを昇華していく。自分たちはそれでいいんだと思わせてくれる。

 

彼女たちがキラキラしていたり、歌で怒りを爆発させたり、大変な努力の中、メキメキと上達するのを目の当たりにするたびに、私の目からは涙が溢れる。はじめは年をとって涙腺が弱っているのだろうかと思っていた。だが、考えるにつけ、彼女たちをかつての自分と重ねていることに気づいた。燃焼しきれなかった過去。もっといろいろ出来たのにという気持ち。彼女たちを見て、応援し、好きだと思うこと、それは過去の自分を認め、供養する感覚でもある。

 

彼女を「現代の山口百恵」だと評する人もいる。その大人びた暗さのある目、群を抜いた才能、確かに似たものはあるだろう。彼女の纏う昭和感を重ねる面もないとは言えない。でも彼女はその才能や努力を脇に置かれて「お人形的な可愛さ」だけを求めるファンに何度も何度も叩かれてきた。でもそのたびに圧倒的なパフォーマンスでそのような声を覆してきた。痛快ですらある。けれど、その魅力は弱さをたくさん縒り合わせたものからできている。彼女はいつもギリギリのところを歩いている。「前のようなあの子に戻って欲しい」などというファンも居る。だが、私はずっと変わり続ける彼女が好きだ。人の評価などくだらないことだと思わせてくれるから。勝手に重ねて悪いけれども。

 

正直アイドルなんて、と馬鹿にしていた。好きになることにためらいもあった。でも彼女を知ったことで私も少し強くなったと思える。弱さも束ねるとあれほどの強さと美しさになるのだと知ることが出来たから。奇しくも彼女は主演した映画でこう言っている。

 

「つまらないというのは構わない。でも読んでから言いなさい。読まないのに批評するのは卑怯よ」

 

全くそのとおりである。

 

(2018年10月)

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来た?

昨日、仕事もそこそこに、観るなら明るいうちに観なくてはと思っていた『来る』をアマプラで観始めるも、最初に来そうなところで耐えられずに一度消してしまい、その旨FBなどでつぶやいたらば、映画通の元同僚に大丈夫だから観てと言われて続きをなんとか観ました。大変に消耗したのですが、観終わってよかったです。観ないでいたらずっと怖かったと思うので。カタルシスのある良い映画でした。琴子さんカッコイ〜。

ですが、ふとした時に場面の断片を思い出してしまい、思い出し恐怖をしています。どうかするとそちら側とつながってしまうのでは、というような感じの怖さです。想像力が豊かなのはいいけれど、こういうときは本当に勘弁してよと我ながら思います。

 

映画『来る』【ロングトレーラー】 - YouTube

 

さて、そんなこともあり、今朝はおもむろに掃除を始め(悪霊は汚い部屋が好きでしょう?)、そういえば

・一個捨てる

・2ページ本を読む

・一行なにか書く

などという小さい習慣をほぼ忘れていたことに気づきました。

 

ではなにをしていたかというと、「あつまれどうぶつの森」です。ゲームというものにほとんど経験や耐性のない人間なので、恐ろしいほどハマってしまい、多い日で6時間位それに費やすというありさまで、夜もうまく眠れないほどでした。いや、過去形にするにはまだ早いかもしれませんし、因果関係も違うかもしれません。よく眠れないのでゲームにハマったような気もします。面白いですよね。今後も当面やめはしません。

 

ところで「リベンジ夜ふかし」という言葉を最近目にしました。夜早く眠れないのは一日のうちで自分の時間として使う時間が少なすぎて寝る時間を割いてでもそれを満たそうとするというような話でした。そういう「寝るのがもったいない」という感覚はたしかにありますが、それ以上にやっぱり体質かもしれません。

 

でもこのように、紙でもブログでもいいけれどなにか書き出すという作業を最近確かにしておらず、それは何やら脳内を混沌とさせて非常に疲れをもたらしているような感じはあります。脳内がカオスになると部屋も荒れますし、そうすると目に入る情報量が増えてきて処理ができなくなってきて、さらに掃除などをする気力も失われていき、でも焦りはある…という悪循環があるというのは経験上わかっているので、忘れていた小さい習慣を再び始める必要があるかもねと思った今朝です。でもそんな自分の決意にでさえ、ちょっと逆らいたい気持ちになるのは何なんでしょうね。

 

 

近況など

なぜ急に更新しているかというと、ウェブサイト契約更新のお知らせが来たのがきっかけです。もうそのままウェブの藻屑と化してしまってよかったのかどうか確認のために久しぶりに開いたウェブサイトは思ったより綺麗に整頓されており、そうだった、すべてのリンクを貼り付けたクリッカブルマップにしたのだったと思い出したのでした。

 

このブログもそのひとつのクリック先であり、開いてみたらこれも、ああそうだったと思う感じで、こうした断片はやはり無駄なようでもとっておくのが良いだろうと思われたのでした。

 

あれから4〜5ヶ月経ったことになりますが、いまだコロナは終わらず、世界がすっかり変わってしまいました。私生活を犠牲にしてまで働くことに疑問さえ覚え、でも私生活ももはや実態がない、ゆえに働く、といった具合で、一旦うるおいかけた生活もなんだか無味乾燥なものになりつつある昨今なのです。

 

生産性がない感じというのは仕事や勉強などにおいて語られる言葉ですが、今は私生活にそれを感じます。そう感じるのは人に本当に会えないからです。仕事でもほとんど人に会わず、新しい環境においては知り合うきっかけさえつかめず、虚無と背中合わせで生きている。そこに目を向けてしまうともう真っ暗。節穴のような目をして空を見るだけになってしまう。

 

そこで生産性のあることをひとつはじめたのですが、それはピラティス
歩いていけるところにスタジオがあり、少なくとも初めのうちはプライベートレッスンにしようと思ってやっています。プライベートなら感染リスクは少ないのと、基礎固めができてからグループに移行すれば心的負荷が少なくてすむからです。財布は痛みますが他にすることもないのだから大したことはないはずです。インストラクターであっても毎週決まった時間に会える人がいるというのは良いものです。

 

ネイルサロン、美容院、ピラティススタジオ、ここの人たちとしかほとんど会わない、会えない世界。ないよりはマシですが、もうすこし、人と会いたいです。 

オポジション

ひどくどうでもいいことだけど、本当に久しぶり(え、15年ぶりくらい?)の友達と連絡を取りながら気づいたのだけれども、ほとんど会わないのになんか仲いい、好きだなと思う友達(年令問わず、性別:男)って前職のボス含め、思い返すと全員水瓶座なの、ちょっと面白い。うす〜くなが〜い付き合い。

ちょっとだけ特別扱いしてくれたり可愛がってくれる感じが心地よい、推しつ推されつなちょっとくすぐったい関係性。家族みたいな感じもある。

すごくチャーミングだと思うし人気もあるのに、ちょっと気難しくて生きづらそうな道をあえて邁進してるちょっと変わった人たち。

心地よい距離感や本質的なものは多分とても似ていて、なぜか信頼感と肯定される感じがある。でもかなり正反対なところもある。近すぎるとぶつかってしまうのかもしれないけれど、違いすぎて面白い、でも絶対的に好きな人たち。

 

ホロスコープでも正反対に位置しているということです(獅子座)。面白いですね、というメモ。 

 

 

分類しても仕方ないけど、傾向がはっきりしているのは面白い。日常を乱されないが、信頼感と肯定される感じがある。

甘やかすということ

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結局病院はあまりに混んでいたので1時間半待ったところで帰ったのでした。そこまで待ったのならあとちょっと待てば良さそうなものですが、それは無駄なことだと思ったのです。

実際、そのあたりのおしゃれなお店を見たり手帳を買ったりプリンを食べたりしているうちにすっかり元気になりました。仕事をサボったのも良かったね。

時間つぶしに待合室で読んでいたのが『スゴい早起き』。なんていうか、それができればもう下手に薬飲んだりするよりよほど良いなと思われました。そして、翌日から今日に至るまで6時半くらいには起きています。5時とか早朝ではありませんが、先週は11時過ぎても起きられなかったのですから大変な進化です。徐々に早められればとは思いますが7時間寝る方に意識を持ちたいです。早く起きて、仕事の続きをやってしまったのでサボったところは帳消し。エライ!本も毎日読んでいるけど、徳田秋声の『黴』はちょっと休みにして、今は違う本を読んでいます。

遊んだり自分を甘やかすのは悪いことと無意識に思っていたけれど、状態を良くしないとよく働けないし続かない。結局全てシステムなのだと思ったのでした。うまくまわればそれでいい。

 こんなご時世だし、根を詰めて働くにしても、楽しい要素がないとつまらない人生になってしまう。朝ゆったりしている時間はとても心地よいし、寝る前から朝起きが始まっていると意識することや、朝起きることは嫌なことじゃないんだと、いい意味で自分を騙すことの大切さがよくわかりました。いみじくも同じようなことを小さい習慣の本も言っていたけど、 ハードルをなるべく低く、自分に気付かれないようにするのは、いつも自分のプランに反発心を持っていた身としては納得の行くことです。

ところで、一行書くのはどうしたのと言われそうですが(いやいや誰も見てないはず)、メモ帳に手書きでたくさん書いていました。こうやってブログに書くのと手書きで書くのは全然違いますね。手書きしていると手が追いつかないくらい湧き出るような感じでした。人に見られないから、どう思われるかなども考えないですしね。