PCの整理をしていて昔書いた文章が時々出てくる。
そういうのを記録しておこうと思う。
なんのために書いたのかは忘れたりしているけれど。
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10月。栗の季節だ。栗の渋皮煮をつくろう。
渋皮煮は栗の硬い皮を剥くところから始まる。お湯につけて皮を柔らかくし、包丁で引っ掛けるようにして剥く。大事なのは渋皮に傷をつけないこと。
渋皮というのは硬い表皮をめくったところにある薄皮のようなものだ。渋皮という名の通り、渋みがある。重曹を加えた水に栗を入れ、沸いたら15分くらい弱火で湯がくとお湯は真っ赤になる。重曹は筋を取りやすくするみたい。渋皮が大事と言っても、ゴワゴワだと食感が良くないから硬い筋やケバは取る。筋は竹ひごで取るのだけれど、結構夢中になってしまうよ。栗が乾くと割れてしまうので乾燥には注意なんだって。
お次はお鍋を綺麗にして何度か煮こぼす。つまり、沸かして3分~4分弱火で炊いたらまた水を入れ替えて沸かす。それを透明っぽくなるまで3~4回繰り返して、あとはお砂糖を半量入れて煮て続きはまた明日。
「栗は好きだけどマロンは嫌い」
そう言うと大抵の人は怪訝な顔をする。
「同じでしょう?」
「違う。大違い。だってマロンはどうにも甘い。どこまで行ってもお砂糖の味。モンブランも、マロングラッセも。栗は栗ご飯にしても美味しいし、渋皮煮は仕上げにもう半分のお砂糖とみりんと醤油を入れるから甘いばかりじゃなくてちょっと深い味がする」と反論すると、「手間がかかるのによくやるよね」そう笑ったあと、「ひとつ頂戴」と言う。
ふっくりと膨れた渋皮煮をうやうやしく瓶から取り出して差し出すと。本当に嬉しそうな顔をして頬張る。
手間がかかるけどその作業は嫌いじゃない。ひとつひとつのプロセスを大事に進めていくと確実に美味しくなるから。それにそういう幸せそうな顔を見るのが楽しみでもある。
お菓子づくりにはレシピというものがあって、先人たちが苦心を重ねてこれというものを見つけてくれている。とくにお菓子づくりは普通の食事のレシピと違って、分量をきっちり計ることが大切。適当にやったらもう本当に目があてられない代物になる。
恋にもレシピがあればいいのに、と思う。確実に成功して幸せになるように。
私の恋は焦げたり材料が足りなかったり、きっとそんなこんなでうまく行った試しがない。大抵は火が強すぎる。そして煮込みすぎる。苦すぎる。
いっぽうで、誰かがくれる恋は甘すぎて食べられなかったり。
ちょうどいいって難しい。ちょっと渋くて手がかかっても時間を掛ければめちゃくちゃおいしくなる渋皮煮のような恋をしたい。
そういう話を友達にしたら、バカねと言われた。
「あなたの敗因はその手をかけすぎなところ。混ぜて冷蔵庫に入れておけば固まるようなそんな簡単なゼリーをつくるくらいの気持ちでいればいいのよ。そのくせ即断即決しようとするから駄目なんじゃない?」
確かに。
もっと渋皮煮をつくるくらいの時間を掛けて、じっくり相手を見つめるプロセスが必要なのかも。
(2018年10月20日)
渋皮煮を作る
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