僕たちの嘘と真実

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映画『僕たちの嘘と真実』を観てきました。

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序盤のライヴシーンで涙がブワッと出ました。ライヴ観たかったなぁ。すごい迫力ある。ライヴ、練習、撮影などのシーンと織り交ぜるように一部のメンバーのインタビューが入ります。

中盤以降、ボロボロになってからの姿をクローズアップしすぎだと感じ、ふと、後年、平手友梨奈をよく知らない人が見たら無責任でヤバい人にしか見えないのではという気がしてきました。

最終的に少なからず腹を立てている自分がいました。欅坂がこわれたのは平手さんが抜けたからではなく(それは間違いなく致命傷ですが)、新メンバーを入れ、選抜制にして競争を持ち込んだことが最大の原因だと思っています。それまで21人、部活動のようにみんなで励まし合い、頑張ってきたメンバーにとってそれは心折れる出来事だったと思います。映画では途中、やめていったメンバーのこともほとんど触れず、その声も聞かず、一番励まし寄り添ってきたであろう振付師のTAKAHIRO先生に大人の責任を問うなど、意味がわかりませんでした。責任があるとすれば運営にあります。聞くなら己の胸に手を当ててほしい。秋元さんの言葉を聞きながらハッと目を見開く平手さんの表情をみるにつけ、その言葉が持つ影響力を思い知らされます。

結論として、これは名前を変えて再始動するメンバーのために作られた映画だなと感じました。別物になっていく彼女たちがここで欅坂46という名前を封印してくれたことにはありがとうという気持ちです。わたしにとって、欅坂の最終シングルは「黒い羊」でした。ごめんね。

 

ところで以前、書いてお蔵入りにしていた文章をここで供養しておこうと思います。このとき、もう平手さんが限界に達していたとは知りませんでした。

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昨年の大晦日、実家でぼんやりとごまめの腹を取っていた私は「ゴンっ」という音に驚いて目を上げた。テレビでは紅白歌合戦をやっていて、アイドルの女の子が振り付けで倒れたときに頭を打ったようだった。彼女は他のメンバーに引き起こされて、そのまま踊り続けた。あ、大丈夫みたい、よかった、そう思ったのも束の間、彼女は腹の底から「僕は嫌だ!」と叫び、私はそのままその子から目が離せなくなってしまった。なんだかアニメのキャラクターみたいだと思った。

 

私はテレビを持っていないし、アイドルにはなんの興味もなかったから、それまでその子が誰だかも知らなかった。特に、人数の多いあの手のアイドル・グループはみんな一緒に見えていたし、嫌悪感さえ持っていた。アラフィフの女である私にとって、そういう子達のファンは「ドルオタ」などと言われ、握手会のために大量のCDを買ったりする全く理解できないものであったし、勧められても全く聞く気もなかった。完全に食わず嫌い。でも、その夜はなんだか気になって、インターネットで彼女たちのPVを幾つか見た。テレビで見た彼女は鬼気迫っていてほとんど顔も見えなかったけれど、言われなければ同じ人と思えないくらいに毎回顔が違った。彼女はいつも彼女自身というよりは、その曲の主人公としてそこにいるようだった。

 

あれから10ヶ月。いま、私は正に「ドルオタ」である。彼女の才能、楽曲の良さ、ダンスユニットとしての魅力、表現力、かわいさ、格好良さ、すべてを愛し、それを布教したくて仕方がない。わかってきたらメンバーそれぞれ個性的で可愛いし、めちゃくちゃ推せる。彼女がCMしている口紅を買い、映画を観に行き、幸いにも私の推しである彼女が握手会に出ないからさすがに何枚も買ったりはしないけれどもCDやDVDを買い集めている。少し理解を示してくれた友人に、それは社交辞令だとわかっていてもあれもこれもと勧めたくなる。我ながらキモい。しかし、それを恥だとは思っていない。ただ、あまりのハマりように自分でも戸惑ってはいる。同性の、近頃17歳になったばかりの女の子に何故にそんなに惹かれるのか。

 

私が彼女たちくらいの年頃だった頃、世の中は「女子大生ブーム」だった。大人っぽい、色っぽい、知性のある人がもてはやされていた。そして、いざ女子大生になった頃、時代は「女子高生至上主義」になった。結局、私達の世代はスルーされ、就職も厳しくなり、女であることは不利でしかなかった。上の世代の常識を植え付けられ、努力してきたことは古臭いか、できて当たり前のこととして全く評価されず、一方、本当にやりたくても眉をひそめられて出来なかったことを楽しそうにやって褒めそやされる若い人を見るにつけ、哀しみとやり場のないデットストック感が募った。

 

あの大晦日に「僕は嫌だ!」と叫んだ彼女は中学2年でアイドルになったという。理由は「自分を変えたかった」から。言われてみれば、このグループは皆、他と違って、クラスの中で浮いているような子たちだ。とても可愛いのに自尊心が低い。彼女たちが歌う歌詞もそういう感じ。でも彼女たちは歌うことでそれを昇華していく。自分たちはそれでいいんだと思わせてくれる。

 

彼女たちがキラキラしていたり、歌で怒りを爆発させたり、大変な努力の中、メキメキと上達するのを目の当たりにするたびに、私の目からは涙が溢れる。はじめは年をとって涙腺が弱っているのだろうかと思っていた。だが、考えるにつけ、彼女たちをかつての自分と重ねていることに気づいた。燃焼しきれなかった過去。もっといろいろ出来たのにという気持ち。彼女たちを見て、応援し、好きだと思うこと、それは過去の自分を認め、供養する感覚でもある。

 

彼女を「現代の山口百恵」だと評する人もいる。その大人びた暗さのある目、群を抜いた才能、確かに似たものはあるだろう。彼女の纏う昭和感を重ねる面もないとは言えない。でも彼女はその才能や努力を脇に置かれて「お人形的な可愛さ」だけを求めるファンに何度も何度も叩かれてきた。でもそのたびに圧倒的なパフォーマンスでそのような声を覆してきた。痛快ですらある。けれど、その魅力は弱さをたくさん縒り合わせたものからできている。彼女はいつもギリギリのところを歩いている。「前のようなあの子に戻って欲しい」などというファンも居る。だが、私はずっと変わり続ける彼女が好きだ。人の評価などくだらないことだと思わせてくれるから。勝手に重ねて悪いけれども。

 

正直アイドルなんて、と馬鹿にしていた。好きになることにためらいもあった。でも彼女を知ったことで私も少し強くなったと思える。弱さも束ねるとあれほどの強さと美しさになるのだと知ることが出来たから。奇しくも彼女は主演した映画でこう言っている。

 

「つまらないというのは構わない。でも読んでから言いなさい。読まないのに批評するのは卑怯よ」

 

全くそのとおりである。

 

(2018年10月)

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