自分を労わりたいけど全然できてなくて、凡ミスも続くので哀しくなってちょっとめそめそした。今日は電話も多くてそれもダメージ。でも、ミスも致命傷じゃないから大丈夫。前より進化してる。
とはいえADHD的な要素が悪化している気がする。やだなあと思いながら病院の予約を入れた。違うなら違うでよし、そうなら手を打てばいい。
私はもっと楽しんだり遊んだりしないといけない。
ほんとに疲れて一行しか書けそうにない。
いろいろ失敗やあーっと思うことが多い。
がんばれーわたしー。
たぶん弱っているのを悟られたのでしょう、師匠がアイスケーキをくれました。
デセールグラッセ というそうですよ。
ちなみに何が公式かというと、このアイスの説明書にレンジでチンするように指示がされていたのです。
今日は仕事の後、おかずの仕込みをしていたのですが、カブの葉っぱとじゃこってごま油で炒めるだけでなんとも美味しいですね。関東風の釜揚げのおじゃこのほうがふんわりしていて美味しくできる気がします。
今日はやけに寒いと思ったら雪でした。今日から生活に昼寝を取り入れようと思っていましたが、そんなこんなで外に出てしまいました。
本はいつだったか古本屋さんで買った徳田秋声の『黴』を読み始めていますが、旧仮名遣いなのですいすい読むというわけには行きません。ですが、これ、なんとも愛らしい本でしょう? おそらくカバーなどがあったとは思いますがとてもきれいで50年ほど前のものとも思われません。明治の本を昭和47年に復刻したものですがこれは明治のデザインなのかしら。どちらにせよ、買ったはいいが読まずだったのではないでしょうか。
閑話休題。『闇のバイブル/聖少女の詩』の予告をようやく観たのですが、エピソードは結構そのままなぞっているものの、なんか違う……。全篇観れば印象が変わるかもですが(ニコニコにあったのでそのうち観ます)年齢設定からして違いそう。14歳くらい? 吸血鬼のお話になっちゃってるのかな。中途半端なロリコン映画みたいになってるのが残念な感じ。火炙りのシーンも違和感。もっと緊迫してた感じなので。でもおそらく聖職者をいかがわしく異端な感じで描いているだけでも、当時としてはかなり不道徳で前衛的なのかもしれませんね。
読んだイメージはもっと薄暗い重厚な建物でもっとおどろおどろしい感じでしたし、ヴァレリアはもうちょっと知的で冷静な17歳なのですが。それを思うと本の装画はとても良いですね。それにしてもひどい邦題だわ……。
昨夜は結局、読みかけの本『少女ヴァレリエと不思議な一週間』を最後まで読んでしまいました。途中かなり不穏になったりもしましたが、奇妙ではあるけれど予想したような恐ろしかったり道を踏み外すような話ではなくて切れ切れの悪夢の断片という感じでした。映像化したものがあり、それは『闇のバイブル/聖少女の詩』というなんともいえないタイトルでした。いま電波状態があまり良くなく、メモのために予告編を貼っておきます。
読み終えたのは2時を過ぎていて、こういう生活は有意義だけれどちょっと体に悪い感じがしました。いっそ5時半頃まで仮眠して朝型へ一気に路線変更も良いと思いタイマーを掛けたけれども、意気込みとは裏腹に体はぐったりとし、びくとも動かないのでした。
子供の頃から早起きが苦手で、おそらくいわゆる夜型で過集中なのでしょう。それでも年をとったら誰しもが明け方に目が覚めるものだと思っていたのですが、先日実家に帰った際、私の両親、特に母親は2時3時まで夜ふかしをし、9時を過ぎても起きてこなかったので、ある意味絶望、そういう家系なのでしょう。
今はいわゆる勤め人とは違い、時間的に自由がきくのですが、だからといって昼夜逆転、などとやり続けていると、何より仕事に埋め尽くされてしまい、遊びに行ったり自由にする時間を失ってしまいそうで、日々試行錯誤です。朝だいたい終わらせて昼間は遊びたいな〜(本読んだり料理したり裁縫したり美術館行ったり)とか思ってはいます。
今は年間で一番の繁忙期ということもあり仕事ばかりしています。仕事も嫌いじゃないし、むしろ好きな部類なのですが、一方で「余白」という言葉が頭の隅で浮遊しており、余白、空白を求める機運が脳内で高まっています。そういう意味で、仕事以外の「本を2頁」読んだり、「ブログを一行」書いたりするのは良い気分転換になっていますから良い傾向なのでしょう。3つ目の小さい習慣は運動に関するものにしようと思っていますが、最近買った「自転車にまたがる」か雨ならば「1Fまで降りる(散歩)」にしようかと考えています。運動そのものを目的にするよりは買い物に行くとか仕事に行くとか、別の目的の手段としておきたいです。「自分に気取られない」ことって案外大切で、急いでいるとプリンタが詰まったりするように、気づかれないうちにまんまと習慣化できれば良いと思っています。
友達がメッセンジャーで「近所でコロなでた!」と送ってきて、わかるんだけど犬をなでている絵が浮かんでしまって、不謹慎ながらクスッとしてしまいました。
Twitterを見ないでいると世の中のことが嘘のように穏やかです。私はテレビも見ないので特にそうなのでしょう。ニュースは必要ですが、必要以上に疲れたくないのです、今は。
震災から9年というニュースも、神戸を思い出してしまうから、なかなかにしんどいニュースです。放射能もウイルスも見えない恐ろしいものという意味で共通ですね。見えない、わからないものはやはり恐ろしい。終りが見えていれば少々しんどくても頑張れるけれど先行きの見えないのは緊張するし、疲れます。
今夜のお供は『少女ヴァレリエと不思議な一週間』。昨日から読み始めて半分くらい。帯には「チェコ・シュルレアリスムの巨匠が描く、ゴシック小説!」とあるけど印象的な装画は日本の人が描いているのね。
こういう日は、こんなよくわからない世界に行ってしまうのが落ち着きます。